夏になって、姑の〇〇公園の散歩の時間をズラしてからは、
姑とマサルさんは別々に晩ご飯を食べていました(No.91「中断・再開」)。
2度の食事の準備は大変でしたが、姑とマサルさんの食事メニューを
まったく別々に出来たので、ある意味助かった部分もありました。
でもマサルさんは、わざわざ別々のメニューを作っているのを知っており
普段の介護疲れも考えてくれたのか、私にある提案をしてくれました。
サトコ、オレなあ、晩飯は外で食って帰ってくるわえ?どうして?わざわざ作るの面倒やろ?おまえも疲れてるやろうし
オレが外食してサトコが少しでも楽になるんならその方がええやろ?そりゃあ・・・ありがたいけど・・・・
本当にいいの?マサルさんはそれで・・・?ええでオレは別に。ありがとう・・・助かるわぁ・・・・本来なら、こういう事態は決して好ましくないのは明らかです。
家で食べずに外で済ませてくるのは、家離れにつながってしまいます。
家庭の食事時間は、家族のコミュニケーションの時間でもありますから。
でもその当時の私は、マサルさんとの夫婦関係のことなど
一切頭にありませんでした。いえ、マサルさんのことなど全く
考えていませんでした。考えることはいつもいつも姑のことばかり・・・
マサルさんにとっては、放っとかれ取り残されたような感覚だったのか
この家での存在価値はあるのか・・・みたいな焦燥感があったのか・・・
それとも、もう、夫婦としての絆はすでに切れてしまってたのか今思えば、そういう感覚があったかも知れません。
もう私達は夫婦じゃない、ただの同居人。
形上は夫婦だけど、実際の私は姑専用の家政婦に過ぎない。
マサルさんの世話なんか、姑のついでにやってるような感じでしたから。
当時の私たち夫婦は、まだ30代前半、普通なら
子供もいないし、夫婦生活を存分に満喫できる年代だったのです。
また、年齢的にもまだ「男」「女」を意識できる若さもあったのです。
でも実際は・・・
毎日姑の介護のことばかり考え、介護しやすいジャージしか着ない。
上着はヨダレで汚れてもいいヨレヨレのTシャツかトレーナーだけ。
Gパンもスカートも、長いことはいてない(はく気になれない)。
半年に1度ぐらいの、たまたま空いた数時間に美容院に駆け込み
「半年ぐらい来なくてもいいように、思い切りベリーショートにして!」
と言って美容師さんを驚かせていました、色気もヘチマもありゃしない。
もともと身体を動かすスポーツやエクササイズ等は大好きだったんですが
姑に拘束されてからは、何も無くてもそばにいないといけない生活。
身体を動かせない、ストレス解消できない、意に反して太ってしまう・・・
もちろん睡眠不足は健康の大敵です。ストレスと運動不足も加わり、
私の身体も肌も、見た目は10歳以上すっかり老け込んでいました。
どう見たって、オンナじゃない、私の容姿・・・
ただの生活に疲れたオバハンやないの・・・・いやだろうな、こんな女が「妻」だなんて・・・時おり、女として、妻として、言いようのない悲しさを感じましたが、
それも目の前の姑の絶叫でいつもかき消されていました。
空しさ、寂しさを感じるスキもなかった生活でした。
お互いに、夫・妻という、
「連れ合い」という気持ちが薄れていたのは確かだったでしょう。マサルさんが「外で食べてくる」という言葉を聞いても
それが夫婦の危機、家庭崩壊の序章だなんて、
そんなことを考える余裕さえ、ありませんでした。
ただ、「助かった」「少しでも楽になる」という気持ちだけ。
目の前のことしか考えられなくなっていました。
この時すでに、もう、「妻失格」だったんです。
ですがマサルさんは決して、「別れる」つもりはありませんでした。
すでに妻ではなくとも、貴重な母親の世話人ですから。
私の代わりなど誰もできない、人を雇っても何十万とかかる(はず)。
こんな、女として魅力ゼロの私でも、必要な貴重な存在なんですから。
マサルさんなりに、私が少しでも楽になるよう苦慮してくれたんです。
介護には一切関わる気がないのは、それまでの姑との親子の歴史が
そうさせてるんだから、もう何を言ってもムリなんだろう。
それならもう、マサルさんには一切期待しなけりゃいい。
最初っから「居ない人」と思えばいい。
それができるかな・・・
いや、そうしなくちゃいけない
今から思えば、よくこんな心境で「夫婦」をしてたなぁと思います。
私達の実際の生活は、まったく夫婦ではなかったような気がします。
マサルさんが私に対して思いやりの気持ちを持ってくれても
ことごとくすれ違ってばかり
私がマサルさんに対して思いやりの気持ちを持っても・・・・・
いえ、マサルさんに対して
「思いやり」なんか、持たなかった、持てなかった、どう考えても、マサルさんを「夫」として見ていなかった夫婦の絆なんか、最初っから無かった
私は「姑のために」選ばれた、妻という名前の家政婦だったんだから。当時のマサルさんの本音・・・
夫婦としての愛情があったのかどうか、知るよしもありませんが
少なくとも私の想像では
姑と同居・介護という、打算で結ばれたつながりなんだと思っていました。
最初からすでに、崩壊してたんです・・・・FC2 Blog Ranking
- 2008/01/25(金) 18:06:44|
- 介護混迷期(春・夏)
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| コメント:4
>サトコ、オレなあ、晩飯は外で食って帰ってくるわ
う〜ん・・・こ・・これは良くないよマサルさん・・・
>そんなことを考える余裕さえ、ありませんでした。
そりゃあそうですよね。 それどころじゃないもの。
辛いですね。
結婚と同時に、自分たちの夫婦の絆を作る前に介護生活に入ってしまったから、お互いの本来の姿が見えない。。。。
良いところも一杯あったでしょうに。
- 2008/01/25(金) 20:51:58 |
- URL |
- かすみそう #kcwt/6lg
- [ 編集]
>家庭の食事時間は、家族のコミュニケーションの時間でもありますから。
・・・ですか、やっぱり。。。気をつけなければ。。。(笑)
その大事な【家族】のコミュニケーションで、相方(妻)は、一日の様子を話すんですが、
僕としては、「大人二人で話をしてたら、チビは、どうすんだ?一人ですねるだろう。」と。
だから、チビ経由で(チビに話しかけるように)、俺に話せ!と言ってます。
あっ、朝食、一緒に食べてない!!!
(良くないとは思いますが、僕が食べないのです。。。)
- 2008/01/25(金) 23:39:30 |
- URL |
- きゅうべぇ #qwKvtbg.
- [ 編集]
>自分たちの夫婦の絆を作る前に介護生活に入ってしまったから、
ずいぶん後になってからですが、それだと思いました。
夫婦として10年、20年過ごした後だったら(もしかしたら)違ってたかなぁと。
でもね、マサルさんは「結婚相手」=「母親の世話人」というのが頭にあったはず、
私との交際も、純粋な男女の恋愛感情が発端ではなかったんですよ。
もし母親と同居してなかったら、私とは結婚してなかったでしょう。
そもそも結婚の動機が、スタートがお互いすれ違ってたんですから
夫婦の絆を作る感覚すらズレて当然なんですよね。
当時は介護の深みにドップリはまって何にも考えられなかったけど・・・
そういう性格の私だから「結婚相手=母親の介護者」に選んだんです。
おそらく「夫婦の絆」より、「同居して介護もしてくれるか」が重要だったんです。
きっと同居・介護をへて夫婦の絆も深めて行こうと思ってたのかも知れませんが
介護がここまでキツイとは、マサルさんももちろん想像できなかったでしょう。
しかもここまで「逃げ」に終始するなんて、マサルさん自身も想像外だったかも?
そう考えたら、この記事は当然の結果なんですよね。
- 2008/01/25(金) 23:57:16 |
- URL |
- サトコ #5nkxEVks
- [ 編集]
きゅうべえさんいらっしゃい!とぉ〜っても微笑ましい家族の様子ですね〜
>「大人二人で話をしてたら、チビは、どうすんだ?一人ですねるだろう」と。
>だから、チビ経由で(チビに話しかけるように)、俺に話せ!と言ってます。
おほほほ♪(^m^)そうそう♪夫婦はこういうことから話し合い歩みより
コミュニケーションしていくことで夫婦(親子)になっていくのよね♪
それが出来るのはやっぱり「食事の時間」ですもん、貴重なときです。
お子さんが小さいときは特に、奥様とも一緒に食べてあげて下さいね。
きゅうべぇさんに今日一日の報告をするのも、奥様のストレス解消ですから。
愛情とは別に、育児ストレスもけっこう大きいと思いますんで(想像ですが)
でも、大人二人(夫婦ね)の会話の時間も大事ですよ(←オセッカイねー♪)
「もう一度妻を口説こう」とゆーコトバがありましたが、好きですねこーいうの♪
夫婦仲睦まじい姿って、見てるほうも心アッタカになるんですよ(^^)♪
- 2008/01/26(土) 00:20:19 |
- URL |
- サトコ #5nkxEVks
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